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3月って

by oyatsutakiko

先日、お客さまとのおしゃべりで、読み聞かせの話になった。

深く考えもせず父は読み聞かせが上手かったとしゃべり、後からちょっと恥ずかしくなってしまったのだが、思い返してみても、淡々と読み進めつつ静かなリズムでとても聞きやすかったのを覚えている。やはり父は上手かったんだと思う。

仕事をしながら、ラジオの朗読を聞いていたり、落語が好きだったせいもあるかもしれない。しかしそれだけではなく、想像だが、祖母の関わりが大きかったのかなと思う。

祖母は父母が結婚する前に他界してしまっているのでお会いしたことはない。
家の八畳間に、眩しそうな、ちょっとしかめた顔の写真が飾ってあったのが唯一の思い出である。

祖母は新潟県の柿崎というところから、東京駒込の大きな商家に嫁ぎ、7人の子をもうけた。
7番目が父なのだが、父の後に生まれた子が生まれてすぐに亡くなってしまったこともあり、ずっとひっついていた甘えっ子だったと伯母から聞いたことがある。

父から聞いた祖母の思い出は、おそらく戦時中、大混雑の電車の中、
「かあちゃん、おしっこ」
と言った父を、
「ちょっとすいません、ちょっとすいません」
と、父を庇いながら電車の人混みの中を進んでいったことと、もう一つ、
ある日、祖母のオナラを初めて聞いた小さい頃の父のたいそうびっくりした、
「あ!かあちゃん屁した!」
の一声に、
「しろう(父の名前です)、おまえね、あたしだって人間だよ」
と言ったことである。なんだか祖母お茶目である。

空襲に遭ったため祖母の実家に子供たちを連れて疎開し、戦争が終わって東京の家に戻ろうとしたら、家も土地もなくなっていたという苦労の人でもある。

そんなたいへんな時代に加え、子だくさんだったというのに、
きっと今よりもずっとゆっくりじっくりと子供たちと向き合ったのではないかな、と、
少ないエピソードの中から想像する。
ゆっくりじっくり…、自身の子育てを振り返ってみて、とても及第点はあげられないなぁと反省しきりである。


父は話をする”間”も含めて、小さい子に興味を持たせるのがとても上手だった。
まだ筆算も教わっていない低学年の時期にやりかたを少し遊ぶように教えて、
もっと問題出して出して!と盛り上がったあたりで、詳しくは先生に教えてもらいなさい、お父さんのはやり方が違うかもしれないから、と、お遊びを終いにした。子供のやる気、好奇心と、きっと自身も楽しんで向き合う一面があったんでないかなぁと思う。

祖母の故郷や、駒込など、
時間ができたらぜひ訪れてみたい。



送ってから今年で20年。
父の命日のある3月は、どうしてもそんなことをつらつらと思う。
妹の子と合わせて5人になった孫たちの成長を、
 ゆっくりとあちらの世界から見守ってていただきたい。


oyatsutakiko
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